ひな祭りとは?子供向けの簡単な説明で由来と起源を解説。

ひな祭りの時に、お子様から「どうして人形を飾るの?」
「なんで女の子のお祭りなの?」などと質問される親御さんも多いかと思います。
お子様にわかりやすく教えてあげて、お子様にとっても楽しく大切な行事と感じてもらえるようなると良いですね。
ひな祭りをわかりやすく、簡単にご説明します。
ひな祭りは、女の子の健やかな成長を祈る季節の節目となる行事で、節句の一つでもあります。
五節句といって。
1月7日は「人日(七草がゆ)」じんじつ。
3月3日は「上巳(桃の節句)」じょうし。
5月5日は「端午(菖蒲の節句)」たんご。
7月7日は「七夕(星祭)」たなばた。
9月9日は「重陽(菊の節句)」ちょうよう。
となります。
3月3日の桃の節句に行うひな祭りは、「ひな人形」「桃の花」を飾って、お酒やちらし寿司などを食べたり飲んだりしながら、祝うお祭りです。
ひな人形は、子供に振りかかる厄(よくない事)の身代わりになってくれるとされています。
ひな祭りは英語で「Doll’s festival ドールズフェスティバル」と言われ、とても可愛らしい英語になりますね。
どのようにひな祭りが始まったのでしょう?
ひな祭りの起源(始まり)はいろいろ言われていますが、ここでは有力な2つの起源をご紹介します。
中国の女の子の実話からきているという説。
中国が漢と言われていた昔、徐肇(じょちょう)という人が3人の女の子を授かりましたが、3人とも3日以内に死んでしまいました。
徐肇のとても悲しむ姿を見ていた同じ村の人が、酒や食べ物を持ってきて徐肇を慰め、3人の女の子のお葬式を水葬(川などに流して弔う)にした事が起源となっていると言われています。
それが日本に伝わり、平安時代からの風習の「上巳の祓い」といって、3月3日に陰陽師を呼んでお祓いをし、自分の身代わりになって厄を引き受ける紙の人形を川流す事と結びついていきました。
現在でも、京都の下鴨神社で行われる「流しびな」の行事に受け継がれています。
中国の風習のからきているという説。
昔の中国では、上巳の日(3月上旬の巳の日)は邪気が入りやすい忌み日とされ、人々は厄払いをする為に水辺で手足を洗う風習がありました。
そして同じ頃の日本にも自分の身代わりとして、草木や紙で人型に作った人形を川に流す「禊払い」という風習がありました。
中国の厄払いの風習と、日本の禊払いの風習が結びついて、次第に人形に自分の身代わりで厄を引き受けてもらうという現在の風習につながっているとも言われています。
こちらの説では女の子のお祭りになったのは、平安時代の女の子たちの遊びだった「ひいな遊び」と結びついた頃だと言われています。
ひな祭りの由来とは?
現在のように、人形が飾られたひな祭りの原型が始まったのが、平安時代だと言われています。
紙で作られた人型の人形に、自分に降りかかる厄の身代わりになってもらう事と、宮中内(天皇のいる所)で女の子が遊んでいた人形遊びが結びつきました。
そして3月3日を江戸幕府が「桃の節句」と定めると女の子のお祭りとして定着していきました。
初めは紙の人形から、江戸時代には現在のように豪華な人形へと変わりました。
そして宮中内で始まった風習が、次第に裕福な家もひな祭りを行うようになりました。
当時のひな人形は、その家の財力を表すステータスをして、どんどん華やかに、大きくなっていきました。
段飾りが出来たのも、江戸時代の中期だと言われています。
あまりに豪華になりすぎたので、江戸幕府が「ひな人形に金箔、銀箔を使用してはいけない」という禁令を出したそうです。
ただそれでも当時のひな人形人気は収まらず、等身大のひな人形まで作られるようになり、吉宗将軍の時代に「ひな人形は24センチまで」と決められたそうです。
現代の私たちから見るとすこし笑ってしまうような話ですが、当時の人たちのひな人形への想いが、非常に強いことが分かりますよね。
お子様にはどのように伝えればわかりやすいか?
こんな感じていかがでしょうか?
お子様の年齢にもよると思いますが、お子様がわかりやすいように最後の部分だけ伝えてあげるのも良いかもしれませんね。
今のように、女の子の健やかな健康と成長を祈る節句となったのは江戸時代以降で、時代とともにお祝いの仕方も変わってきたことが分かりました。
しかし子を想う親の気持ちはいつも時代も共通した想いがある為、長い歴史がある風習になっていると思います。
親御さんにとっては、お子様に大切な想いを伝える良い機会になるように!
お子様にとっては、親御さんの気持ちを知る良い機会になるようなひな祭りになると良いですね。